この世の中、誰もが一度は神頼みをしたことがあることでしょう。しかし神は存在しないと考える人も多いのが実情です。この記事では宗教学を知りたい方のために、神とはどういった存在であるのか、そしてそれぞれの宗教がどのような特徴を秘めているのかを私、浜西慎一が分かりやすくご紹介していきます。

この内容を見ることで人生の考え方が大きく変化する人もいることでしょう。

神とはどんな存在?

神とはどんな存在?

まずは神の存在について説明していきます。

神とは人知を超え、誰よりも優れて尊い存在だとされています。宗教的信仰の対象になっていることが多く、その偉大さと優れた威力故に多くの人に畏敬されています。しかし、この神という存在は人によってどんな存在であるのか異なる傾向を見せます。

神は天と地を造りあげた創造主、神は霊的な存在、神は愛であると言う人もいれば、神は偉大であるものの、鬼のように恐ろしい存在でもあったと唱える人もいるのです。こうした神の存在に違いが見えるのは、宗教が背景にあるからです。

宗教とは尊い存在の神を信じ、その神の教えに従うことで救われる、よりいい未来を授かれることができると考えるものです。考えだけで多くの人を集めるため、少しばかり恐ろしいと感じてしまいますが、決してマイナスな考えではなく、幸せに生きるためのヒントが詰まっています。

日々進化していく化学でも同じように生活に余裕を生み出すことができ、正直科学のように説得力はない宗教ですが、宗教をベースにした考えがあることで人はより一層安らかに生活できるものです。人間とは何か?世の中はどうあるべきか?といった謎を明らかにして、自分を発見しつつ感じられる素晴らしいものとなっています。

世界の主な宗教

世界の主な宗教

ここからは世界の主な宗教をいくつかご紹介していきます。それぞれ違いがあって、独自の教えの数々が生活に余裕を生み出したり、人々を困難から救い出したりしています。

それでは早速見ていきましょう。

仏教

世界宗教の一つである仏教は主に東アジアで広まっている宗教になります。日本でも馴染み深い宗教になっており、多くの信徒がいるのが特徴です。

そんな仏教はインドのお釈迦様である、ガウタマ・シッダールタが開祖した宗教になっています。ガウタマ・シッダールタは紀元前5世紀前後、北インドで実際に存在していた人物となり、ゴータマ・シッダールタと呼ばれていたり、ゴータマ・シッダッタと呼ばれていたりする人物です。そんなガウタマ・シッダールタが説いた教えは、苦の輪廻から解脱することを目指すものとなっています。

これは原因と結果の理解に基づき、様々な現状が縁起するという教えで、お釈迦様は「法」を用いり、「法」の実践者となった僧からなる三宝を中心にして作られているのです。仏教の「法」とは、法則・真理、教法・説法、存在に加えて具体的な存在を構成する要素的存在などのことを指しています。

本来は「保持するもの」「支持するもの」といったものを持つのですが、それらが働いていくすがたから「秩序」「掟」「法則」「慣習」などといった事柄を示すものになっています。つまり仏教は秩序や掟に法則、そして習慣を説いたものになります。

苦が続く人生を永遠にするものではなく、仏教ではこの苦の迷いの世界から脱出しない限り、無限に存在すると説く前世、そして生前の業、さらに臨終の心の状態などによって次の転生時にもこの苦が輪廻してしまうのです。仏教では苦の原因を取り除くことで人は苦から抜け出すことができるという解脱論があり、苦の輪廻という考えとともに仏教という宗教の特徴を表しています。

キリスト教

キリスト教は世界的に信仰されている宗教になり、始まりは2000年ほど前と言われています。

イエスという人物がきっかけになっており、イエスが青年時に神の国の福音を宣べ伝えて、罪ある人間を空くために自ら十字架にかけられたにも関わらず、後に復活したイエスをキリスト(救い主)だとして信じる宗教です。

このキリスト教はユダヤ教という宗教から分派したものでありました。しかしながら、信者数は全宗教の中でも最も多い人数になっており世界中に23億人以上の方がキリスト教を信仰しています。なぜこのように大きく広がっていったのかというと、理由はイエスが天へと旅立った後にイエスの弟子たちが、この教えを当時のローマに広く伝えたからです。

そんなキリスト教は経典というのはユダヤ教から受け継がれた旧約聖書と、キリスト教独自の新約聖書が存在しています。旧約聖書では神と人間との間で結ばれた古い契約が書かれており、新約聖書ではイエス・キリストによって新たに神と結ばれた契約を表した聖書になっています。旧約聖書で預言されている、罪のない人間であると受け入れるのがキリスト教です。

そして、自らをキリスト教徒と呼ぶすべての人々を包含するものであります。特定の民族や人種そして特定の身分や社会階層の方のための宗教でもありません。すべての人に向けられたものであり、多くの信者を増やし今ではキリスト教の歴史的経緯から様々な教派や教団、組織、そして信条が存在する宗教へとなったのです。

イスラム教

イスラム教とは唯一絶対の神を信じる宗教になっており、世界的に広く信仰されています。信者数は16億人以上で、成立したのは7世紀、ムハンマドという人物が創始者となっています。

アラビア都市のメッカで生まれ育ったムハンマドは、政治的指導者であり預言者でもありました。彼はアダムやイエス、アブラハム、モーセ達預言者の一神教を説き確認するために遣わされた人物です。「神は一つである」ということを掲げ、神への完全な「服従(イスラーム)」が世で最も正しい生き方であるとして、ムハンマドは預言者である宣言し、同時に神の使者であることも宣言したのです。

しかし当初はムハンマドの信者は数が少なく、多神教徒から敵意されていた存在になってしまいました。ムハンマドは自身の身を守るためにメッカからの移住を決意し、移住先であったメディナでは部族を統一することに成功します。移住から8年、メッカの部族との敵対状態についに終わりを見せます。ムハンマドは10,000人のイスラム教徒の改宗者を集めた軍隊を結成します。そしてメッカの街を進撃するのです。この征服においては痛々しい争いはほとんど起きていません。

ムハンマドは流血することなくメッカの街を占領するも、それから3年後に別離の巡礼から戻って数ヶ月後に病で倒れてなくなります。ムハンマドがなくなる時にはアラビア半島のほとんどの人がイスラム教に改宗し、その後多くの人伝わっていきました。

ユダヤ教

日本では滅多に信者を目にすることができないユダヤ教はキリスト教、イスラム教とならぶ、世界3代一神教として知られる宗教です。唯一絶対の神であるヤハウェを信じ、神から与えられた法律を守ることによって救済されると信じた民の集まりです。

ユダヤ教に属するユダヤ人は皆ヤハウェから選ばれた者であると信じています。独自の選民思想を持つユダヤ民族には、神の言葉を多くの人に伝える役割を担う預言者が大きな活躍を行い、預言は旧約聖書にまとめられるようにもなりました。

パレスチナの中心都市であるイェルサレムに聖所であるヤハウェ神殿を築き崇拝しており、多くの人に知れ渡った後イェルサレムから遠く離れた集団は各地に法律を学ぶとする集会所、シナゴーグを作っていく歴史を持ちます。ヤハウェ神殿を建てた前11世紀末ごろに最盛期となるものの、前922年ごろにイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまいます。その後イスラエル王国はアッシリアによって滅び、ユダ王国も新バビロニアに滅ぼされてヤハウェ神殿も破壊されてしまうのです。そして両王国の人々はバビロン捕囚という苦難を経験することにもなります。

しかしこの困難の中、選民であるユダヤ民族は神から与えられた法律を厳守することでキリスト(救世主)が現れるだろうと信じます。救済されることを望んだ多くの人によってユダヤ教信仰が確固たるものとなり、新バビロニアはペルシア帝国によった滅ぼされたことでユダヤ人はバビロン捕囚から解放。パレスチナへと戻り再度ヤハウェ神殿を建築していきました。

ヒンドゥー教

ヒンドゥー教はインドやネパールにて多数派を占める民族宗教です。インド的伝統を指すこの宗教は、インド国内では10億人の信者を集め、その他の国と合わせると約11億人以上を誇り、かなり広く伝わる宗教になっています。

このヒンドゥー教は、地域やヒンドゥー教における身分制度であるカーストによって信仰形態が異なるのが特徴です。地域それぞれの神々や崇拝様式を吸収していき徐々に確率されてきた多神教である故に、幾度となく変化を遂げてきました。

キリスト教に見られるような教会制度や宗教的権威などは存在することなく、預言者もいなければ聖典も存在することなく多神教としてのその姿を見せています。実際に、信者の中には自身の思想を持ち自由に信仰と風習があるので、包括的な定義を与えることは困難であるとされています。

最後に

そもそも神や宗教とは?まとめ

神とは何か?その答えをすぐに出すのは難しいことでしょう。しかしながらその神の姿を詳しく教えとして形作っているのが宗教です。宗教は様々なものがあります。それぞれ独自の教えによって色んな考えがあり、人格を形成しています。ぜひ、日本に広く伝わる仏教の他にも、様々な宗教にも目を付けてみてはいかがでしょうか?神とはどういった存在なのか?色々な方面から見て答えを導き出せるはずです。